前回は小学校高学年の、主にケンカについてのことを書きました
今日もまたケンカのことは出てくるかもしれませんが、また違う場面を見てみようと思います。
小学校くらいだとどこの学校・クラスにもいわゆる"ガキ大将"がいると思います。私のクラスにもいました。
T君という人がそうだったのですが、スポーツ万能で背が高いしケンカも強いし女子にもてる、そんな人でした。
T君の周りには子分というか、くっついている奴が何人もいます。というか、クラスのほとんどの男子がT君にへつらってるような状態だったと思います。
サッカーをやるにもT君が「いいよ」と言わないと一緒に遊ぶことができません。仲間外れにされたくないので、従わざるを得ない・へつらわざるを得なかったのでしょう。
で、私ですが…
そんなガキ大将に従わない・へつらわない
という姿勢でした。主に5,6年生の頃ですけど。
こんな私みたいな奴、ガキ大将のT君にとってはおもしろくなかったでしょう。「生意気な奴」「むかつく」ということで、色々と嫌がらせを受けたものです。
ドッヂボールをやるとガキ大将&その取り巻きから集中的に狙われたり、雪の日の雪合戦では集中砲火を浴びたり…
そんな状態でしたが、何度かガキ大将T君にケンカを挑みました。こんなこと、他の誰もやらなかったですけど。T君に攻撃するまえに、子分どもが私を押さえつけてほとんどケンカにならず、という状態でしたが。
ケンカするのは学校で先生も止めに入るのですが、悔しくて泣きました。殴られて痛いからではなく、悔しいからです。
リーダーシップの面から見れば、私は孤軍奮闘・一匹狼のような状態でとてもリーダータイプではないですが、他の人とは明らかに違うなぁというところではあります。
こう書くとカッコよすぎる感じなのですが…他の面で色々と悔い改めるべきことがたくさんあるので、決してカッコいい人間ではありません。。
実は非常に弱い面もあります。
ということで次回はまたその辺を書いていきます。
(続く)
今日もまたケンカのことは出てくるかもしれませんが、また違う場面を見てみようと思います。
小学校くらいだとどこの学校・クラスにもいわゆる"ガキ大将"がいると思います。私のクラスにもいました。
T君という人がそうだったのですが、スポーツ万能で背が高いしケンカも強いし女子にもてる、そんな人でした。
T君の周りには子分というか、くっついている奴が何人もいます。というか、クラスのほとんどの男子がT君にへつらってるような状態だったと思います。
サッカーをやるにもT君が「いいよ」と言わないと一緒に遊ぶことができません。仲間外れにされたくないので、従わざるを得ない・へつらわざるを得なかったのでしょう。
で、私ですが…
そんなガキ大将に従わない・へつらわない
という姿勢でした。主に5,6年生の頃ですけど。
こんな私みたいな奴、ガキ大将のT君にとってはおもしろくなかったでしょう。「生意気な奴」「むかつく」ということで、色々と嫌がらせを受けたものです。
ドッヂボールをやるとガキ大将&その取り巻きから集中的に狙われたり、雪の日の雪合戦では集中砲火を浴びたり…
そんな状態でしたが、何度かガキ大将T君にケンカを挑みました。こんなこと、他の誰もやらなかったですけど。T君に攻撃するまえに、子分どもが私を押さえつけてほとんどケンカにならず、という状態でしたが。
ケンカするのは学校で先生も止めに入るのですが、悔しくて泣きました。殴られて痛いからではなく、悔しいからです。
リーダーシップの面から見れば、私は孤軍奮闘・一匹狼のような状態でとてもリーダータイプではないですが、他の人とは明らかに違うなぁというところではあります。
こう書くとカッコよすぎる感じなのですが…他の面で色々と悔い改めるべきことがたくさんあるので、決してカッコいい人間ではありません。。
実は非常に弱い面もあります。
ということで次回はまたその辺を書いていきます。
(続く)
テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記
前回は小学校4年から始めた剣道について書きました。
今回は学校でどうだった?について書いてみます。
小学校4年の頃、私は相も変わらずけんかっ早く、しょっちゅうもめ事を起こしてました。
ちょっと戻りますが、小学校3年の時の先生は「ケンカは止めないで勝手にやらせておく」という人だったのですが、私はこういう考えに賛成です。いまのご時世、こんなことをいうと「なんて危険な」とか保護者から非難を浴びるかもしれませんが、人として成長するのに「殴る・殴られる」という経験を子供のうちにさせておくのもいいんじゃないかと私は思います。
本当にやばかったら止めればいいことです。限度を知るというのが大事です。
大きくなってからでは力も違いますし危険です。だから子供のうちにやらせておくのがよいのです。そういうことも最近ないから凶悪犯罪が起こったりするのでは?と思ったりもします。
子供だった当時は限度とかなんとかなんてあんま考えませんでしたが、それでも「これはやめておけばよかった…」という経験がありました。今でもはっきり覚えているのですが、ケンカで「石を投げつけてしまった」ことです。
外で相手が砂だったかゴミだったか何かを投げつけてきたのかまでは覚えてませんが、私はお返しに石を投げ、それが相手の頭に当たって出血させてしまいました。
あの瞬間は「やばい」と思いましたね。いかにケンカっ早くてカッとなっていても、流血を見たらさすがに青ざめました。
幸い傷は浅くて縫うまでもなかったのですが。二度とケンカで物を投げるのはやめようと思いました。
それから当時もう一つ「やめておけばよかった」と思ってることがあります。それは「イジメへの加担」です。クラスに見るからに弱々しいいじめられっ子がいて、いわゆるガキ大将みたいな存在の奴を中心にクラス中の奴がちょっかい出したり、悪口言ったりしていたのですが、私もその輪に加わってた時期がありました。
先生も対処がまずかったんじゃないかと思うようなところがあったのですが、今から思うと私自身やはり良くない行動でした。
が、5年、6年になると今度は私自身がイジメのような仕打ちに遭いました…今となっては因果応報のようなものを感じますね。(詳細はまた後日書こうと思います)
自分自身のことしか考えてない、他人の迷惑を考えずわがままで、ケンカっ早いところが災いしての結果なのですが、当時としてはそんなこと分からず「何で自分がこんな痛い目に遭わなきゃいけない?」と思ってました。当然の仕打ちかな、と思うくらい私はひどかったと思います…
イジメる、イジメられる、両方を経験したことが今では学びになってるわけですが。他人に「経験しなさい」とはあまり言えないものですね。。そこは難しいとこです。
ただ当時のイジメは今考えるとそんな陰湿なものではなかったです。自分が相手にむかつくことをしたから仕打ちを受けることがほとんどで、年がら年中イジメを受けていたということはなかったのです。
運動会とかクラス対抗イベントがあると一致団結してましたし。文化祭なんかも楽しくやってました。
"クラス対抗のケンカ"もありましたけど(苦笑)相手のクラスに物を投げ込んだり、殴りこんでいくわけです。こういう時も自分のクラスの中は一致団結してるわけです。
あと、ちなみに、私は今は引っ込み思案(?)というか、俺が俺がという感じでしゃべることはないですが、この頃は授業中とか最もうるさい奴の一人だったと思います…ギャグを言ったり、おしゃべりをしたり、要は目立ちたがりでした。
上記のような無茶を昔やっているので、その後落ち着いたとも言えるでしょう。ああいう経験がなければ、いま私は全く違った人間になっていると思います。
自分勝手な性格という点ではリーダーシップなどとても語れるものではないですが、小学校5,6年になると「ここは他の人とちょっと違うんじゃないかな」という点も見受けられるようになります。
その辺りは次回にて。
(続く)
今回は学校でどうだった?について書いてみます。
小学校4年の頃、私は相も変わらずけんかっ早く、しょっちゅうもめ事を起こしてました。
ちょっと戻りますが、小学校3年の時の先生は「ケンカは止めないで勝手にやらせておく」という人だったのですが、私はこういう考えに賛成です。いまのご時世、こんなことをいうと「なんて危険な」とか保護者から非難を浴びるかもしれませんが、人として成長するのに「殴る・殴られる」という経験を子供のうちにさせておくのもいいんじゃないかと私は思います。
本当にやばかったら止めればいいことです。限度を知るというのが大事です。
大きくなってからでは力も違いますし危険です。だから子供のうちにやらせておくのがよいのです。そういうことも最近ないから凶悪犯罪が起こったりするのでは?と思ったりもします。
子供だった当時は限度とかなんとかなんてあんま考えませんでしたが、それでも「これはやめておけばよかった…」という経験がありました。今でもはっきり覚えているのですが、ケンカで「石を投げつけてしまった」ことです。
外で相手が砂だったかゴミだったか何かを投げつけてきたのかまでは覚えてませんが、私はお返しに石を投げ、それが相手の頭に当たって出血させてしまいました。
あの瞬間は「やばい」と思いましたね。いかにケンカっ早くてカッとなっていても、流血を見たらさすがに青ざめました。
幸い傷は浅くて縫うまでもなかったのですが。二度とケンカで物を投げるのはやめようと思いました。
それから当時もう一つ「やめておけばよかった」と思ってることがあります。それは「イジメへの加担」です。クラスに見るからに弱々しいいじめられっ子がいて、いわゆるガキ大将みたいな存在の奴を中心にクラス中の奴がちょっかい出したり、悪口言ったりしていたのですが、私もその輪に加わってた時期がありました。
先生も対処がまずかったんじゃないかと思うようなところがあったのですが、今から思うと私自身やはり良くない行動でした。
が、5年、6年になると今度は私自身がイジメのような仕打ちに遭いました…今となっては因果応報のようなものを感じますね。(詳細はまた後日書こうと思います)
自分自身のことしか考えてない、他人の迷惑を考えずわがままで、ケンカっ早いところが災いしての結果なのですが、当時としてはそんなこと分からず「何で自分がこんな痛い目に遭わなきゃいけない?」と思ってました。当然の仕打ちかな、と思うくらい私はひどかったと思います…
イジメる、イジメられる、両方を経験したことが今では学びになってるわけですが。他人に「経験しなさい」とはあまり言えないものですね。。そこは難しいとこです。
ただ当時のイジメは今考えるとそんな陰湿なものではなかったです。自分が相手にむかつくことをしたから仕打ちを受けることがほとんどで、年がら年中イジメを受けていたということはなかったのです。
運動会とかクラス対抗イベントがあると一致団結してましたし。文化祭なんかも楽しくやってました。
"クラス対抗のケンカ"もありましたけど(苦笑)相手のクラスに物を投げ込んだり、殴りこんでいくわけです。こういう時も自分のクラスの中は一致団結してるわけです。
あと、ちなみに、私は今は引っ込み思案(?)というか、俺が俺がという感じでしゃべることはないですが、この頃は授業中とか最もうるさい奴の一人だったと思います…ギャグを言ったり、おしゃべりをしたり、要は目立ちたがりでした。
上記のような無茶を昔やっているので、その後落ち着いたとも言えるでしょう。ああいう経験がなければ、いま私は全く違った人間になっていると思います。
自分勝手な性格という点ではリーダーシップなどとても語れるものではないですが、小学校5,6年になると「ここは他の人とちょっと違うんじゃないかな」という点も見受けられるようになります。
その辺りは次回にて。
(続く)
テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記
前回は小学校低学年までの話でした。
今回は小学校高学年、まずは4年生くらいからの話をしていきます。
小学校4年生で一つの転機がありました。それは「剣道」を始めたことです。
どういう経緯だったか忘れましたが、たしか父親と風呂に入っているとき「剣道やってみるか?」という話になって始めたはずです。
ということで、スイミングスクールは辞めて、剣聖館という道場に通いました。剣聖館は鶴峰高校や、今もあるか分かりませんがえぼしという居酒屋の近くにありました。(地名でいうと高田)
剣聖館という道場ももうないかもしれません。何しろ20年近く前のことです。当時で60歳を超える館長でしたし、先生方も50〜60歳以上の人が大半でしたので。。
何はともあれ、道場に行って、防具と竹刀など用具を一通り揃え、週2回稽古をしに行きました。
小学生の部は夕方くらいから始まります。学校が終わったら家に帰って防具(道衣、袴、胴、垂)を着て、面と籠手(こて)を持って自転車で通いました。
稽古の前に先生のお話、「五条の訓」を読み、詩吟を歌います。
先生のお話というのは、具体的な内容を覚えてませんけど、礼儀作法の話であるとか、勉強する意義とか、うそをついてはいけないとか、人間としての心構えみたいな話を聞いたような気がします。
今でもそうでしょうけど、こういう話って学校では教わらないと思います。昔は近所の人が礼儀作法を教えたってことを聞いたことありますけど、私の子供の頃団地ではそんなことあまりなかったですし。
そういう意味でも道場で先生に礼儀作法を教わるというのは貴重だったわけです。もちろん当時全てのことを理解できなかったですけど、大人がきちんと子供に教える・しかるという場は大事だと思います。
先生が「宿題やったか?」と門下生に問うて「いいえ」と答えると、門下生が自分の持ってる竹刀で自分で自分の額を打てと言われたりします。稽古中以外、決して先生が門下生を竹刀でたたくようなことはありません。自分で自分を戒めなさい、という感じです。
ちなみに先生は定年退職した人、会社務めしながらの人、色々です。警察、消防、学校関係者なんかが多かったと思います。
「五条の訓」の五条というのは「仁義礼知信」を意味して、仁なら「相手の立場に立って行う。慈しみやさしさを仁という」というような、礼儀作法に必要な心がけを声に出して読んでいくのです。
詩吟は「死中〜活あり〜」なんて詩を節をつけて歌うのですが、まぁ小学生には全く理解できないものでしたね…まるで呪文でした。
「五条の訓」も詩吟も道場の壁に貼ってあって、見ながら読んだり唄ったりしました。「五条の訓」は中学生の部でも読みました。もう言葉は忘れてしまって五条の訓を全て暗唱することはできませんが、「人として謙虚に、礼儀正しく、正しい道を歩みなさい」というような教えは今なお大切にしなければならない内容だと思います。
道場の門下生は小学校の部でおそらく30人くらいいたんじゃないでしょうか。曜日によって2つに分かれてたりしましたが、1回の稽古で10〜20名くらいはいたように思えます。
出身の小学校もばらばら、見知らぬ小学生があれだけ集まっていたというのは結構驚きです。私の通っていた鶴が台小学校からは私1人しか参加してなかったです。
寒川辺りからも来てる人も結構いましたし。茅ヶ崎では結構有名な館長だったからなのかもしれません。
館長は最高位の8段を持ってる人でした。8段となると取得者は全国でもかなり少ないと思います。
この頃出会った大○くんという、今でも親友として親交がある奴と出会ってます。これからこの連載でも度々出てくる人物で、私の人生にも欠かせないような存在の奴ですが、大○とは剣聖館で初めて出会ったのでした。
そんなこんなで始めた剣道。当然最初からできるはずもないのですが、また勝気な性格が幸い(?)してか、小学校5年か6年には道場で年2回開かれる試合で優勝してトロフィーをもらってしまいました。
負けるのがイヤなので、結構練習しましたね。身体は小さいのですが、飛ばされようが倒されようが、先生に食ってかかって稽古をしてた感じです。
スイミングスクールも剣道も途中でいやになって「もう行きたくない」と親に何度となく言ったこともありましたが、それでも結局剣道は中学3年まで続けました。
面をかぶっていると夏場はひどく暑いし、冬の床を素足で歩くのはしもやけができるほど冷たいです。筋力、体力、持久力もいりますし、くじけない精神力も必要。稽古は正直きついです。
ギターでもそうですが、他人から見るとストイックなまでに淡々と基礎練習などを続けられるのは、剣道をやっていた影響が多々あるのではないかと思います。
ギター始めた頃、i指のアポヤンドできれいな音を出そうと、i指アポヤンドだけを数時間やってたとか、アルペジオだけで数時間なんてざらでしたし…
個人の力量に左右される部分が多く、剣道をやってるからといって直接的にリーダーシップに役立つ面はあまりないように思えますが、心構えであるとか、精神的なタフさは養えたのかもしれません。
と、まぁ今でこそこうしていい面を分析できるわけですが、当時の私はやりたいようにやってただけです。礼儀作法もなんのその、道場以外では色んないたずらや悪事をはたらいたりもしました。
ではいったい学校ではどんなだったのか?は次回書きたいと思います。
(続く)
今回は小学校高学年、まずは4年生くらいからの話をしていきます。
小学校4年生で一つの転機がありました。それは「剣道」を始めたことです。
どういう経緯だったか忘れましたが、たしか父親と風呂に入っているとき「剣道やってみるか?」という話になって始めたはずです。
ということで、スイミングスクールは辞めて、剣聖館という道場に通いました。剣聖館は鶴峰高校や、今もあるか分かりませんがえぼしという居酒屋の近くにありました。(地名でいうと高田)
剣聖館という道場ももうないかもしれません。何しろ20年近く前のことです。当時で60歳を超える館長でしたし、先生方も50〜60歳以上の人が大半でしたので。。
何はともあれ、道場に行って、防具と竹刀など用具を一通り揃え、週2回稽古をしに行きました。
小学生の部は夕方くらいから始まります。学校が終わったら家に帰って防具(道衣、袴、胴、垂)を着て、面と籠手(こて)を持って自転車で通いました。
稽古の前に先生のお話、「五条の訓」を読み、詩吟を歌います。
先生のお話というのは、具体的な内容を覚えてませんけど、礼儀作法の話であるとか、勉強する意義とか、うそをついてはいけないとか、人間としての心構えみたいな話を聞いたような気がします。
今でもそうでしょうけど、こういう話って学校では教わらないと思います。昔は近所の人が礼儀作法を教えたってことを聞いたことありますけど、私の子供の頃団地ではそんなことあまりなかったですし。
そういう意味でも道場で先生に礼儀作法を教わるというのは貴重だったわけです。もちろん当時全てのことを理解できなかったですけど、大人がきちんと子供に教える・しかるという場は大事だと思います。
先生が「宿題やったか?」と門下生に問うて「いいえ」と答えると、門下生が自分の持ってる竹刀で自分で自分の額を打てと言われたりします。稽古中以外、決して先生が門下生を竹刀でたたくようなことはありません。自分で自分を戒めなさい、という感じです。
ちなみに先生は定年退職した人、会社務めしながらの人、色々です。警察、消防、学校関係者なんかが多かったと思います。
「五条の訓」の五条というのは「仁義礼知信」を意味して、仁なら「相手の立場に立って行う。慈しみやさしさを仁という」というような、礼儀作法に必要な心がけを声に出して読んでいくのです。
詩吟は「死中〜活あり〜」なんて詩を節をつけて歌うのですが、まぁ小学生には全く理解できないものでしたね…まるで呪文でした。
「五条の訓」も詩吟も道場の壁に貼ってあって、見ながら読んだり唄ったりしました。「五条の訓」は中学生の部でも読みました。もう言葉は忘れてしまって五条の訓を全て暗唱することはできませんが、「人として謙虚に、礼儀正しく、正しい道を歩みなさい」というような教えは今なお大切にしなければならない内容だと思います。
道場の門下生は小学校の部でおそらく30人くらいいたんじゃないでしょうか。曜日によって2つに分かれてたりしましたが、1回の稽古で10〜20名くらいはいたように思えます。
出身の小学校もばらばら、見知らぬ小学生があれだけ集まっていたというのは結構驚きです。私の通っていた鶴が台小学校からは私1人しか参加してなかったです。
寒川辺りからも来てる人も結構いましたし。茅ヶ崎では結構有名な館長だったからなのかもしれません。
館長は最高位の8段を持ってる人でした。8段となると取得者は全国でもかなり少ないと思います。
この頃出会った大○くんという、今でも親友として親交がある奴と出会ってます。これからこの連載でも度々出てくる人物で、私の人生にも欠かせないような存在の奴ですが、大○とは剣聖館で初めて出会ったのでした。
そんなこんなで始めた剣道。当然最初からできるはずもないのですが、また勝気な性格が幸い(?)してか、小学校5年か6年には道場で年2回開かれる試合で優勝してトロフィーをもらってしまいました。
負けるのがイヤなので、結構練習しましたね。身体は小さいのですが、飛ばされようが倒されようが、先生に食ってかかって稽古をしてた感じです。
スイミングスクールも剣道も途中でいやになって「もう行きたくない」と親に何度となく言ったこともありましたが、それでも結局剣道は中学3年まで続けました。
面をかぶっていると夏場はひどく暑いし、冬の床を素足で歩くのはしもやけができるほど冷たいです。筋力、体力、持久力もいりますし、くじけない精神力も必要。稽古は正直きついです。
ギターでもそうですが、他人から見るとストイックなまでに淡々と基礎練習などを続けられるのは、剣道をやっていた影響が多々あるのではないかと思います。
ギター始めた頃、i指のアポヤンドできれいな音を出そうと、i指アポヤンドだけを数時間やってたとか、アルペジオだけで数時間なんてざらでしたし…
個人の力量に左右される部分が多く、剣道をやってるからといって直接的にリーダーシップに役立つ面はあまりないように思えますが、心構えであるとか、精神的なタフさは養えたのかもしれません。
と、まぁ今でこそこうしていい面を分析できるわけですが、当時の私はやりたいようにやってただけです。礼儀作法もなんのその、道場以外では色んないたずらや悪事をはたらいたりもしました。
ではいったい学校ではどんなだったのか?は次回書きたいと思います。
(続く)
テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記
昨日の続きです。
http://dendenmushitaro.blog42.fc2.com/
幼稚園から小学校低学年になって、この辺でリーダーシップの片鱗を見つけることができるか?
別に学校のクラスでガキ大将のような立場でもないし、人前に出て何かをやるというわけでもなし。しょっちゅう遊んではいましたけど、友人もそんなには多くない。
スイミングスクールで出会った同じ小学校の倉○君という人とは彼が小6で引っ越すまでとても仲が良かったとか、小学校から大学まで一緒だった金○君とか、いま思い起こすと懐かしさがこみ上げてきます。
当時遊びといったら、ファミコン以外に
駄菓子屋
ドロ警
草野球
田んぼや沼でザリガニやたにしを取る
という感じです。20数年前の茅ヶ崎はいま住宅地になってるところが沼とか田んぼでした。
両親も何かを率先してやるとか、リーダーシップを執ってはいません。市営の団地暮らしというところからも決して裕福なわけでもなく、父親はごく普通のサラリーマンです。
確か小2のときに一度少し広い別の号棟(これも15-*-***と覚えている)に引っ越しましたけど。まぁ大して生活に変わりはないです。
どこの家庭も同じかもしれませんが、小2くらいから父親との確執が始まりましたかね。7,8歳から就職する22歳頃までケンカばっかりでした。
こう書くとリーダーシップに結びつくような出来事はあんまないです。強いて関連性があるかなと思うのは「勝気でガンコ」というところでしょうか。
ファミコンで対戦ゲームやったり、草野球をやってて負けるのは絶対イヤ。
私は小学校〜高校まで、背の順で並ぶと一番前以外だったことがなかったというほど身体が小さかったのですが、それをバカするような奴には相手構わず殴りかかっていく感じでした。
だからしょっちゅうケンカばかり。
なんであんな勝気だったのか?負けず嫌いだったのか?
性格といってしまえば簡単ですが、ここは不思議です。
父親もガンコではあるものの、私ほどではないと思いますし。でも無意識のうちというのか、親の育て方によってわがままな部分やガンコさが身についていってしまったのかもしれません。
ただ、勝気でガンコであってもリーダーであることとは別です。むしろ迷惑ばかりかけて快く思われない存在だったと思います。。
ということで、ここまで見てきてもまだそんなにリーダーに関わるような話はあまりないかと自分では感じてます。
小学校高学年に入るとまた少しずつ状況は変わってきます。それはまた次回で書きます。
(続く)
http://dendenmushitaro.blog42.fc2.com/
幼稚園から小学校低学年になって、この辺でリーダーシップの片鱗を見つけることができるか?
別に学校のクラスでガキ大将のような立場でもないし、人前に出て何かをやるというわけでもなし。しょっちゅう遊んではいましたけど、友人もそんなには多くない。
スイミングスクールで出会った同じ小学校の倉○君という人とは彼が小6で引っ越すまでとても仲が良かったとか、小学校から大学まで一緒だった金○君とか、いま思い起こすと懐かしさがこみ上げてきます。
当時遊びといったら、ファミコン以外に
駄菓子屋
ドロ警
草野球
田んぼや沼でザリガニやたにしを取る
という感じです。20数年前の茅ヶ崎はいま住宅地になってるところが沼とか田んぼでした。
両親も何かを率先してやるとか、リーダーシップを執ってはいません。市営の団地暮らしというところからも決して裕福なわけでもなく、父親はごく普通のサラリーマンです。
確か小2のときに一度少し広い別の号棟(これも15-*-***と覚えている)に引っ越しましたけど。まぁ大して生活に変わりはないです。
どこの家庭も同じかもしれませんが、小2くらいから父親との確執が始まりましたかね。7,8歳から就職する22歳頃までケンカばっかりでした。
こう書くとリーダーシップに結びつくような出来事はあんまないです。強いて関連性があるかなと思うのは「勝気でガンコ」というところでしょうか。
ファミコンで対戦ゲームやったり、草野球をやってて負けるのは絶対イヤ。
私は小学校〜高校まで、背の順で並ぶと一番前以外だったことがなかったというほど身体が小さかったのですが、それをバカするような奴には相手構わず殴りかかっていく感じでした。
だからしょっちゅうケンカばかり。
なんであんな勝気だったのか?負けず嫌いだったのか?
性格といってしまえば簡単ですが、ここは不思議です。
父親もガンコではあるものの、私ほどではないと思いますし。でも無意識のうちというのか、親の育て方によってわがままな部分やガンコさが身についていってしまったのかもしれません。
ただ、勝気でガンコであってもリーダーであることとは別です。むしろ迷惑ばかりかけて快く思われない存在だったと思います。。
ということで、ここまで見てきてもまだそんなにリーダーに関わるような話はあまりないかと自分では感じてます。
小学校高学年に入るとまた少しずつ状況は変わってきます。それはまた次回で書きます。
(続く)
テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記
早速リーダーシップの面から自分を振り返ってみたいと思います。
私は生まれが神奈川県、藤沢の湘南台です。といっても、2〜3歳くらいまでいただけなので全く記憶はありません。
なので生まれ故郷は16歳くらいまで過ごした神奈川県、茅ヶ崎市となります。鶴が台の団地に住んでました。
なぜか17-*-***に住んでたってこととか当時の電話番号まで覚えてます。。私は昔覚えた数字とかを今でも結構覚えてたりするのです。(ドラクエIの復活の呪文、中学校の時に覚えた円周率を今でも50桁言える、大学時代の学生番号など、小1〜中3の担任の名前:1,2年=小野先生、3年=谷本先生、4年=陣内先生、5,6年=石井先生、中1=木村先生、中2=若林先生、中3=星野先生、なぜか高校が思い出せない…)
最も昔の記憶は、円蔵あたりにあった幼稚園に通ってたときのことです。私は昔からとにかく勝気というか、けんかっ早くてしょっちゅう先生に怒られたり、いたずらとか人に迷惑をかけることばかりやってました。
この頃リーダーシップがどうだったか?ということは分かりません。ただおとなしい性格ではなかったです。
6歳になって鶴が台小学校に入りました。小1は何してたか?というのもほとんど覚えてないです…
しかし小2の頃の記憶は意外と思い出すことができます。キーワードは
・キン肉マン
・北斗の拳
・ドラゴンボール
・ビックリマンシール
・ファミコン
・スイミングスクール
こんな感じです。ファミコンは多分私が小1くらいのときに発売されたんじゃないかと思いますが、私が手に入れた(祖父に買ってもらった)のは小2だったと思います。
ファミコンにはとにかくはまってました。ソフトをそんなに買ってもらうことはできないので、友達から借りたり友達の家にいって遊んだりしたものです。
スイミングスクールは身体を鍛えるために親に言われてやってたんじゃないかと思います。香川にある熊澤酒造といういま湘南ビールを造ってる&ビアレストランをやってるところの隣にあったスイミングスクールに通ってました。
なので当時は
学校⇒ファミコン⇒TVアニメ
プラス週2回くらいだったか水泳を習うというような生活です。勉強なんて全くしません。
(続く)
私は生まれが神奈川県、藤沢の湘南台です。といっても、2〜3歳くらいまでいただけなので全く記憶はありません。
なので生まれ故郷は16歳くらいまで過ごした神奈川県、茅ヶ崎市となります。鶴が台の団地に住んでました。
なぜか17-*-***に住んでたってこととか当時の電話番号まで覚えてます。。私は昔覚えた数字とかを今でも結構覚えてたりするのです。(ドラクエIの復活の呪文、中学校の時に覚えた円周率を今でも50桁言える、大学時代の学生番号など、小1〜中3の担任の名前:1,2年=小野先生、3年=谷本先生、4年=陣内先生、5,6年=石井先生、中1=木村先生、中2=若林先生、中3=星野先生、なぜか高校が思い出せない…)
最も昔の記憶は、円蔵あたりにあった幼稚園に通ってたときのことです。私は昔からとにかく勝気というか、けんかっ早くてしょっちゅう先生に怒られたり、いたずらとか人に迷惑をかけることばかりやってました。
この頃リーダーシップがどうだったか?ということは分かりません。ただおとなしい性格ではなかったです。
6歳になって鶴が台小学校に入りました。小1は何してたか?というのもほとんど覚えてないです…
しかし小2の頃の記憶は意外と思い出すことができます。キーワードは
・キン肉マン
・北斗の拳
・ドラゴンボール
・ビックリマンシール
・ファミコン
・スイミングスクール
こんな感じです。ファミコンは多分私が小1くらいのときに発売されたんじゃないかと思いますが、私が手に入れた(祖父に買ってもらった)のは小2だったと思います。
ファミコンにはとにかくはまってました。ソフトをそんなに買ってもらうことはできないので、友達から借りたり友達の家にいって遊んだりしたものです。
スイミングスクールは身体を鍛えるために親に言われてやってたんじゃないかと思います。香川にある熊澤酒造といういま湘南ビールを造ってる&ビアレストランをやってるところの隣にあったスイミングスクールに通ってました。
なので当時は
学校⇒ファミコン⇒TVアニメ
プラス週2回くらいだったか水泳を習うというような生活です。勉強なんて全くしません。
(続く)
テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記




