よく「子供は感性が豊かだから」と言われることがあります。音楽、美術、感想文などを子供にやらせて大人が発する言葉です。
しかし私はこの「子供は感性が豊かだから」という言葉には疑問というか異見があります。「じゃあ大人は感性が豊かではないのか?」、いいやそんなことはありません!ということです。
●モーツァルトは確か12歳くらいでオペラを作曲してますが、
こんなことができる子供はそうそういないはずです。
●小学校低学年くらいの子供に絵を書かせると、立体感がなく
とても平面的な絵を描くことが多いです。どんなに感性がある
からといったってよほどの大天才でない限り著名な画家の
ような絵は描けないでしょう。
●小学生に孔子の『論語』を読んで感想文を書けといったって
普通は難しいと思います。
上記3つの例は大人だったらできる可能性があるのです。だから必ずしも「大人は感性が豊かではない」という意見は正しくありません。
では何が問題なのか?私は「知識」や「経験」だと思います。
子供は知識・経験は少ないです。だから見聞きしたものをそのまま表現しようとします。
一方大人は色々な知識・経験というフィルターを通して見聞きしたものを解釈しようとします。このフィルターが「感性の豊かさ」を奪ってしまうことがあるのです。
●この絵のこの部分は○○法を使って描くと良くなる
●このコード進行からすると理論的に次にくるコードは○○にすると
良いだろう
●この本の内容は非常にまっとうで正しいことを書いているとは思うが、
これで救われるほど世の中うまくいくはずない
など、知識・経験というフィルターが見聞きしたままの状態を歪めてしまうことがあります。
私自身もクラシックギターを弾く際に注意が必要なのですが、「ここはアポヤンドで、ここをクレッシェンドして、この後くるスフォルザンドに注意して、最後はアッチェル…」なんて頭を使って考えながら弾いていたら機械的でつまらない演奏になってしまいます。
確かに理論的にはそうだけれども、いかに意識せず自然にできるかがポイントです。
「失敗したらどうしよう」とか「人前で弾くのは恥ずかしい」ということを感じてしまうのも「知識・経験というフィルター」の弊害と言えるでしょう。
ギターの先生に「バカになれ」と言われたこともありますが、これはそういう理論的なことを考えるな!左脳で考えるな!と言う意味だと私は解釈してます。
「バッハのこの曲は宗教的な意味を持っていて、荘厳な雰囲気を…」なんてことを考える子供はよほどのことがない限りいません。子供は知識・経験ではなく見聞きした通りに演奏します。自然なのです。
「知識・経験というフィルター」を取っ払うのは、私の経験上から言ってもなかなか難しいことではあったりしますが、これも訓練。
豊かな感性が必要な時は「知識・経験というフィルター」を外すようにしてみましょう。
しかし私はこの「子供は感性が豊かだから」という言葉には疑問というか異見があります。「じゃあ大人は感性が豊かではないのか?」、いいやそんなことはありません!ということです。
●モーツァルトは確か12歳くらいでオペラを作曲してますが、
こんなことができる子供はそうそういないはずです。
●小学校低学年くらいの子供に絵を書かせると、立体感がなく
とても平面的な絵を描くことが多いです。どんなに感性がある
からといったってよほどの大天才でない限り著名な画家の
ような絵は描けないでしょう。
●小学生に孔子の『論語』を読んで感想文を書けといったって
普通は難しいと思います。
上記3つの例は大人だったらできる可能性があるのです。だから必ずしも「大人は感性が豊かではない」という意見は正しくありません。
では何が問題なのか?私は「知識」や「経験」だと思います。
子供は知識・経験は少ないです。だから見聞きしたものをそのまま表現しようとします。
一方大人は色々な知識・経験というフィルターを通して見聞きしたものを解釈しようとします。このフィルターが「感性の豊かさ」を奪ってしまうことがあるのです。
●この絵のこの部分は○○法を使って描くと良くなる
●このコード進行からすると理論的に次にくるコードは○○にすると
良いだろう
●この本の内容は非常にまっとうで正しいことを書いているとは思うが、
これで救われるほど世の中うまくいくはずない
など、知識・経験というフィルターが見聞きしたままの状態を歪めてしまうことがあります。
私自身もクラシックギターを弾く際に注意が必要なのですが、「ここはアポヤンドで、ここをクレッシェンドして、この後くるスフォルザンドに注意して、最後はアッチェル…」なんて頭を使って考えながら弾いていたら機械的でつまらない演奏になってしまいます。
確かに理論的にはそうだけれども、いかに意識せず自然にできるかがポイントです。
「失敗したらどうしよう」とか「人前で弾くのは恥ずかしい」ということを感じてしまうのも「知識・経験というフィルター」の弊害と言えるでしょう。
ギターの先生に「バカになれ」と言われたこともありますが、これはそういう理論的なことを考えるな!左脳で考えるな!と言う意味だと私は解釈してます。
「バッハのこの曲は宗教的な意味を持っていて、荘厳な雰囲気を…」なんてことを考える子供はよほどのことがない限りいません。子供は知識・経験ではなく見聞きした通りに演奏します。自然なのです。
「知識・経験というフィルター」を取っ払うのは、私の経験上から言ってもなかなか難しいことではあったりしますが、これも訓練。
豊かな感性が必要な時は「知識・経験というフィルター」を外すようにしてみましょう。
テーマ:思ったこと・感じたこと - ジャンル:日記
この記事へのコメント
クラシックギターで検索をして立ち寄らせていただきました。とても興味深い記事でした。
「純粋に感じたまま弾け」ということになるんでしょうかね。楽譜に追われると、ついつい書いてある通りに弾こうとなってしまいますね…。難しいものです。
「純粋に感じたまま弾け」ということになるんでしょうかね。楽譜に追われると、ついつい書いてある通りに弾こうとなってしまいますね…。難しいものです。
はじめまして。
「純粋に感じたまま弾け」と言っても、滅茶苦茶にやってもだめなわけで「聴いてる人がいかに心地いいか?」だと思います。
経験上、まずは形通りに弾いてそれができた上で自分なりの表現をするのがよいです。
特にクラシックをちゃんと勉強すると表現方法についていろいろ学びます。人が心地よく聴くことができる型・法則みたいなものがある程度はあるので、まずはそれをしっかり身に着けます。
この辺を分かった上で演奏すると自分勝手に弾くこととは全然違って深みが出てきます。やはりプロはここが違います。
私もギター専門学校でずっと習ってますが、なかなか難しいことです…音楽って深いなぁとつくづく思います。
「純粋に感じたまま弾け」と言っても、滅茶苦茶にやってもだめなわけで「聴いてる人がいかに心地いいか?」だと思います。
経験上、まずは形通りに弾いてそれができた上で自分なりの表現をするのがよいです。
特にクラシックをちゃんと勉強すると表現方法についていろいろ学びます。人が心地よく聴くことができる型・法則みたいなものがある程度はあるので、まずはそれをしっかり身に着けます。
この辺を分かった上で演奏すると自分勝手に弾くこととは全然違って深みが出てきます。やはりプロはここが違います。
私もギター専門学校でずっと習ってますが、なかなか難しいことです…音楽って深いなぁとつくづく思います。
2008/03/02(日) 21:51:10 | URL | でんでん虫太郎 #-[ 編集]




